2000年(平成12年)1月29日土曜日



1986年1月28日、
その予期せぬ悲劇は起こった。

米東部標準時間午前11時39分、
轟音とともにケネディ宇宙センター39B発射台を離れた
ミッション51L「チャレンジャー」
は、72秒後に突然として紅蓮の炎に包まれた。
この瞬間、
最もアメリカ的な側面を代表する
宇宙飛行士7人の尊い生命が失われた・・・・・・

この7人の宇宙飛行士の中に、
ハワイのコナ島で生まれ育ち、
少年の頃から宇宙への旅立ちを夢見て実現させた
日系三世の米軍将校がいた。

つねに笑顔を絶やさず、黙々と自己の目標に邁進した男。

高校卒業時
「風は偉大なる者を燃え立たせる」
の一句を処世訓に選んだ男。
自らの夢を実現することによって、
ハワイの誇りとなった男・・・・・・・




その男の名をエリスン・S・オニヅカという。


■浮羽町の英雄

エリスンは、
1985年1月打ち上げられた
ディスカバリーの飛行士として乗りこみ
 「宇宙で最初に箸を使った男」
 「宇宙で最初に寿司を食べた男」
 「アメリカで初のアジア系宇宙飛行士」
として、全世界からの注目をあびた。

エリスン・ショージ・オニヅカの曽祖父は
福岡県浮羽町の出身で、名をキチヘイといった。

1890年代後半にハワイへ移住、
ケオプのコーヒー園が広がる山麓の一郭に
安住の地を見つけた。
そこで7人の子供たちを育て上げるのだが、
そのうちの一人がエリスンの父、マサミツだったのである。

1978年、78期生クルーに選抜された後、
エリスンは1983年に
妻や娘たちと母を連れて日本を訪れた。
浮羽町にある鬼塚家代々の墓を
詣でるのが目的だったが、
折から東京で開かれていた
「大宇宙博覧会」にも出席し、
日米親善の掛け橋となった。

浮羽町では、
エリスンを郷土の英雄
として今でも語り継がれている。



http://www.joho-fukuoka.or.jp/kigyo/ukihasho/6onizuka/onizuka.html
(福岡県・浮羽町商工会ホームページより引用)

「それではこのチャレンジャーの打ち上げを見ながらお別れしましょう」
とキャスターが言い
その直後に大爆発。
生放送なのに
何のフォローもできなかったのが
テレビ朝日。


日本時間1月29日午前1時29分
ご冥福をお祈り致します。


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