ソニーにとっての井深 大
ホンダにとっての本田宗一郎
早稲田大学にとっての大隈重信
など、よき伝統を持った組織では
しばしば創立者の名前が
誇りと畏敬の念とともに
語り継がれています。
慶應大学では、いまだに
「先生」とはひとり、福沢諭吉以外の
人のことを指しません。

文春にとってのその人は
菊池 寛
以外の人ではあり得ないのは
自他共に認められるところでしょう。
芥川龍之介の一高時代の親友として
大宅壮一の雑誌ジャーナリズムの黎明期
におけるライバルとして
今、両先達の名を冠した賞を
文春は司り、そしてそれが
筆者を含めた、表現に携わる人間のよき目標にもなり、
受賞作と受賞者がよき指針となってきたのです。












1995年12月、その文藝春秋にとっての
もっとも大事な名前を冠した
菊池寛賞の授賞式とパーティがホテルオークラで盛大に執り行われました。
贈呈式は、『桃山の間』
パーティ会場は、『平安の間』(立食で3000人収容)
輝く金や銀の器に盛られた豪勢な和洋の料理。
ビールが100本以上抜かれました。

前号機をご参照ください。
このほんの直前の95年9月まで、

坂本 堤弁護士
奥様の都子さん
そして
龍彦ちゃん


それぞれ、バラバラに
新潟県
富山県
長野県
に埋められていました。

におい消しのためとかで、カニの甲羅といっしょに
龍彦ちゃんはドロドロの湿地帯で
歯形から身元がわからないように
歯を砕かれて

パーティ会場では、正装した
よく訓練の行き届いたオークラの
従業員たちが、オウム報道で部数を
大幅に伸ばし、意気が揚がる
文春はじめジャーナリズム関係者に
料理を取り分けては、皿をわたしていき
シャンパンが抜かれました。
みな食べました。
歯を使って。

菊池寛賞
受賞者は江川紹子さん

坂本 堤氏は、江川さんを介して
オウム被害者の相談を受け
それをきっかけに被害者の会結成の
推進役となりました。
坂本氏は、あるテレビ番組収録で、オウムを強く批判するコメントをVTRで述べられました。
このVTRを番組担当者が、オウム側に見せたことが
オウムの坂本さん一家殺害の主要な
きっかけとなりました。

このテレビ局はTBS。

当時のTBSの花形人気女子アナに
雨宮塔子さんがいました。

入局は93年。

この賞の授賞式の司会者は
文春幹部・雨宮秀樹氏。

雨宮塔子さんのお父さんです。

雨宮さんは、文春各雑誌の編集長も歴任されていて
コメントを敵方に事前に漏らす
ルール違反の重大さとその危険を
よくご存じであったはずです。

オウム問題・坂本弁護士事件とは
TBS問題であったことは
同じジャーナリズムの人としてよく理解されていた
と考えます。

しかし、文春はTBSを追いつめなかった。
他のオウム関連ではすばらしい取材を
数々されていたのに。

この菊池寛賞の受賞理由は、
「マスコミの沈黙の中、オウム真理教に関わって六年余、戦後最大事件の真実解明の為、沈着冷静な取材活動を行い、遂に教団を追いつめた勇気と努力」
です。

たしかに。
オウム教団は追いつめられていました。

しかし、
坂本さん一家は、龍彦ちゃんは
湿地帯の底に、
眠っていた龍彦ちゃんは、今日、12歳の少年にはなれないのです。

そして。
零号機をご参照ください。
この文春・三浦氏・同時弁護人を
現在、雇い入れている
文春法務担当主体
それは、この雨宮秀樹氏、その人なのです













つかれました。
明1月2日号機は、
汽車と山のはなしなど



みなさまにとって
2000年代が
良き時でありますように
お祈りします

      では、

      藤尾 潔

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