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彩花さん

私の言葉は、今、ここに
挿しはさめる余地はありません。

母上の京子様の、
涙が、何度、指とワードプロセッサーの上に
落ちたことでありましょう。

これは、
母上
京子様から

彩花ちゃんへ向けた

tears

です。


 三月十日、午前中、彩花は家にいました。私は、掃除など、家事をひととおりしていました。外で遊ぶのが大好きな活発な子だったので、いつもの休みの日なら、朝早くから遊びに出かけているのが普通でした。この日に限って、珍しく、ゆっくりとした朝の時間を私と二人で過ごしていたのです。
 彩花は少し遅い朝ご飯を食べながら、そばにあった新聞広告に真珠のネックレスの写真があるのを見つけました。
「彩花もこんなんほしいわ」
 そして、私が持っているネックレスを見せてくれというのです。私は、タンスの奥深くにしまってあることを思い出し、めんどうだったので、
「また今度ね」
 といいました。しかし、彩花は珍しく、見せてくれとしつこくいいます。しかたなく、私は真珠のネックレスを出してきました。すると、今度は首にかけてくれというのです。彩花はトーストを食べていましたので、私は真珠が汚れてしまうと思いました。汚されたら手入れが大変です。
「きょうはダメ。お母さんの持ってる真珠もお着物も、全部、彩ちゃんがお嫁に行くときにあげるから」
 彩花は、しぶしぶあきらめました。
 彼女の食事が終わり、私の家事が一段落すると、彩花は、
「お母さん、ピアノ一緒に弾こう! お母さんの好きな曲、弾いたげる!」
 そういって、ピアノに向かいました。
 何曲か彼女が弾いてくれたのですが、今度は私と連弾で「ネコ踏んじゃった」を弾こうというのです。一回弾き終わっても、彩花はもう一度といいます。まるで、人生で最後の母親との時間を知っていて、それを惜しむかのように、何度も何度も「一緒に弾こう」と、演奏を繰り返したのです。
 母と娘でたっぷりとピアノを楽しんで、ふと時計を見ると十一時半を過ぎていました。私は、入院している人にお見舞いの品を買うため、駅前のショッピングセンターに行くことにしました。わが家から駅までは、ゆっくり歩いて十分ほど。自転車なら数分です。
 不思議なことに、あれほど続いていた不安な気持ちが、この日に限って消えていました。このところベタベタと甘えて私にひっつき回っていた彩花も、なぜか一緒に行くことをしませんでした。一緒に行こうと誘ったのですが、お友達と約束しているからといって、家に残ったのです。
 お昼ご飯を食べさせようと思っていたのですが、朝が遅かったこともあり、彩花はお腹が空いてないといいました。二時か三時頃に帰ってくるので、それから食べるといいます。
 十一時四十五分頃、それが、最後の別れになるとも思わず、彩花を一人残し、自転車に乗ってショッピングセンターに行きました。
 その間にも、砂時計の砂は滑り落ちていました。
 お見舞いの品を買った私は、いつもならすぐに帰るのに、なぜかこの日だけは、用もないのにショッピングセンターをウロウロしていました。
 一方、私が出かけたあと、十二時七分に彩花は約束していたお友達に電話をかけていました。私が出かけたので、約束の時間を早めようとしたのかもしれません。十二時十五分とか二十分という時間に変更したのではないかと思います。
 しかも、待ち合わせ場所は、いつもは彩花が近づかない公園でした。なんとなく気になる場所だったので、彩花には行かないようにしてね、といっていたのです。
 彩花は、待ち合わせ場所となったその公園に行きました。ところが、約束したお友達は着いていませんでした。
 そして、少年が近づいてきたのです。

 ここから先は、母親としては、できることなら書きたくない部分です。あるいは、書くことにお叱りをこうむるかもしれません。しかし、あえて勇気を出して、少年の告白をもとに娘の生きた時間の真実を留めることにします。

 少年は、一人で公園にいた彩花に、
「手を洗う場所を知りませんか?」
 と尋ねました。
 もちろん、私は日頃から彩花に、知らない人に道を聞かれても、遠いところだったり、車に乗って教えてほしいななどといわれたなら、ついていってはダメだと教えていました。決して軽率なことをする子ではなかったので、私は、このとき少年の手が本当に汚れていたのではないかとさえ思うのです。


 十一月三日の未明、彩花が亡くなって以来、初めての彩花の夢を見ました。
 夢のなかで、私と彩花は連れだって歩いています。たぶん、買い物の帰りでしょう。なぜか無性に彩花がいとおしくなり、
「彩ちゃん、だっこしたろか」
 と私がいいます。
「うん」

 私は、素直に答えた娘を抱き上げました。ズシリとした重みが両手に伝わります。
「彩ちゃん、重たくなったなあ。お姉ちゃんやもんな」
 そういうと、恥ずかしそうに微笑んで、
「お母さん、人が見とうから、彩花恥ずかしいわ。あのクリーニング屋さんで降ろしてな」
 といいました。
 その場所は、見たことがあるようなないような曖昧な場所なのですが、マンションや一戸建てが建ち並ぶ住宅街の一角でした。
 約束のクリーニング店の前に着くと、彩花は少し体を硬くして、私の手から降りる準備をし、
「お母さん、ありがとう」
 と、はっきりいってくれたのでした。
 今度は、彩花の左手と私の右手をしっかりとつなぎます。彩花は車道側を歩いていたので、私は手をつなぎ変えて、彩花と入れ替わろうとしました。その手の温もりが、今でも確かな温かさとして右手に残っています。
「どんなことがあっても、この子を守っていかないといけない」
 そう心に思ったとき、目が覚めました。
 あまりにリアルな光景だったために、すぐには今のが夢だとはわからなかったほどです。
 彩花は、亡くなったときと同じおかっぱ頭で、胸にクマちゃんのワンポイントの入ったアイボリーのハイネック、裾にアルファベット模様の入った茶色のズボンをはいていました。いずれも、気に入って生前によく着ていたものです。
 事件の前日も、私は、
「彩ちゃん、一回だっこしたろ」
 と、彩花を抱き上げていました。華奢な体つきだったので、いつまでも幼児のように思え、私はよくだっこをしたものです。そんなときは彩花も喜んで、少し勢いをつけて飛びついてきました。私は、そんな娘がかわいくて頬ずりをしました。いつまで、こうして抱き合っていられるのかなぁと、漠然と思いながら……。
 夢と気がつき、涙が止まりませんでした。しゃくり上げてきて、隣で眠っている夫を起こしてしまいそうです。
 案の定、夫を起こしてしまいました。
 私は、今見たばかりの夢の一部始終を、こみ上げる涙で途切れ途切れになりながら話しました。やっとの思いで話し終えました。「そうか……よかったなぁ。やっと夢で逢えたなあ」
 夫は、そういってくれました。

(『彩花へ――「生きる力」をありがとう』P66〜P69、P182〜P185より)


「偲ぶ会」は、本当に近しい人々だけを招いてのささやかなものでしたが、準備してくださった方々のご配慮で、思いがけず、神戸ポートピアホテルの最上階にある高名なフレンチレストランの一室をお借りすることになりました。
 皇族方をはじめ、国賓として神戸を訪れていたモナコ王妃の故グレース・ケリーも、ここで食事をされたという場所です。説明を聞いて戸惑っている私に東さん(ジャーナリスト}は、「最後の日に真珠のネックレスをつけたがったおしゃまな彩花ちゃんを、グレース・ケリーも来た、神戸で一番すてきな場所に連れていってあげませんか」と、言ってくださいました。
 会の日時は、一周忌に二日早い、三月二十一日の夜となりました。
 三十一階の会場に入ると、宝石箱をひっくり返したような神戸の夜景がブルーのベールの中に広がっています。人々からも、ため息が漏れました。
 窓の下の数百メートル先には、彩花が最後の八日間を闘った中央市民病院も見えます。病院の近くに来ることは、私たち家族にとって辛いことではないかと、東さんは気遣ってくださいましたが、大丈夫ですとお返事したのです。
 それは、出版からの百日ほどの間に、多くの人々から「私たちこそ『生きる力』をありがとう」というお便りをいただいていたからでしょう。
 一年前は、あの病院の中から周囲の高層住宅を眺め、「温かそうな灯りのついた家庭。きっと今ごろは、食卓を囲みながら一家団欒のときを過ごしているんだろうな。私には、もうあんな幸せは戻ってこないかもしれない。この世の中で、私は一番不幸な人間やろうな」と、自分の運命を呪い、人の幸せを妬んでさえいました。
「偲ぶ会」は、私たちの思いをよく理解してくださったホテル側の細かいご配慮もあり、静かな中にも和やかな席となりました。正面に飾られた彩花の遺影は、よそゆきのおしゃれをするかのように白い花の列を足元にしたがえ、無駄な装飾をおさえた品のある室内の華やかな空気を楽しんでいるようでした。

(『彩花へ――再び』P13〜P14より)


彩花さん、
もし私がそこにいることが出来たなら
私はかならずあなたを守って立ったのに---。
今、私が、出来ることは、
第二の彩花さんを出さないよう努力すること
それだけです。
彩花さん。
あのね
私は親戚を見舞いに、
あの日、中央市民病院にいました
彩花ちゃんが運ばれた時、いたんやよ。
痛かったやろう?
彩花さん、よくがんばったね、
お母さんの涙の澪は今、
私には真珠のネックレスに見えます。

彩花ちゃん安らかに。

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